認知症を理解する

○ 認知症とはどういうものか?

 

脳は、私たちのほとんどあらゆる活動をコントロールしている司令塔です。それがうまく働かなければ、精神活動も身体活動もスムーズに運ばなくなります。

認知症とは、いろいろな原因で脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったためにさまざまな障害が起こり、生活するうえで支障が出ている状態(およそ6ヵ月以上継続)を指します。

認知症を引き起こす病気のうち、もっとも多いのは、脳の神経細胞がゆっくりと死んでいく「変性疾患」と呼ばれる病気です。アルツハイマー病、前頭・側頭型認知症、レビー型小体病などがこの「変性疾患」にあたります。

続いて多いのが、脳梗塞、脳出血、脳動脈硬化などのために、神経の細胞に栄養や酸素が行き渡らなくなり、その結果その部分の神経細胞が死んだり、神経のネットワークが壊れてしまう脳血管性認知症です。

 

○ 認知症の症状ー中核症状と周辺症状

 

脳の細胞が壊れることによって直接起こる症状が記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下など中核症状と呼ばれるものです。これらの中核症状のため周囲で起こっている現実を正しく認識できなくなります。

本人がもともと持っている性格、環境、人間関係などさまざまな要因がからみ合って、うつ状態や妄想のような精神症状や、日常生活への適応を困難にする行動上の問題が起こってきます。これらを周辺症状と呼ぶことがあります。

このほか、認知症にはその原因となる病気によって多少の違いはあるものの、さまざまな身体的な症状もでてきます。とくに血管性認知症の一部では、早い時期から麻痺などの身体症状が合併することもあります。アルツハイマー型認知症でも、進行すると歩行が拙くなり、終末期まで進行すれば寝たきりになってしまう人も少なくありません。

認知症の症状ー中核症状と周辺症状

○ 中核症状

 

症状1 記憶障害

 

人間には、目や耳が捕らえたたくさんの情報の中から、関心のあるものを一時的に捕らえておく器官(海馬、仮にイソギンチャクと呼ぶ)と、重要な情報を頭の中に長期に保存する「記憶の壺」が脳の中にあると考えてください。いったん「記憶の壺」に入れば、普段は思い出さなくても、必要なときに必要な情報を取りだすことができます。

しかし、年をとるとイソギンチャクの力が衰え、一度にたくさんの情報を捕まえておくことができなくなり、捕まえても、「壺」に移すのに手間取るようになります。「壺」の中から必要な情報を探しだすことも、ときどき失敗します。年をとってもの覚えが悪くなったり、ど忘れが増えるのはこのためです。それでもイソギンチャクの足はそれなりに機能しているので、二度三度と繰り返しているうち、大事な情報は「壺」に納まります。

ところが、認知症になると、イソギンチャクの足が病的に衰えてしまうため「壺」に納めることができなくなります。新しいことを記憶できずに、さきほど聞いたことさえ思い出せないのです。さらに、病気が進行すれば、「壺」が溶け始め、覚えていたはずの記憶も失われていきます。

中核症状
症状2 見当識障害

 

見当識障害は、記憶障害と並んで早くから現われる障害です。

まず、時間や季節感の感覚が薄れることから

時間に関する見当識が薄らぐと、長時間待つとか、予定に合わせて準備することができなくなります。何回も念を押しておいた外出の時刻に準備ができなかったりします。

もう少し進むと、時間感覚だけでなく日付や季節、年次におよび、何回も今日は何日かと質問する、季節感のない服を着る、自分の年がわからないなどが起こります。

進行すると迷子になったり、遠くに歩いて行こうとする

初めは方向感覚が薄らいでも、周囲の景色をヒントに道を間違えないで歩くことができますが、暗くてヒントがなくなると迷子になります。

進行すると、近所で迷子になったり、夜、自宅のお手洗いの場所がわからなくなったりします。また、とうてい歩いて行けそうにない距離を歩いて出かけようとします。

人間関係の見当識はかなり進行してから

過去に獲得した記憶を失うという症状まで進行すると、自分の年齢や人の生死に関する記憶がなくなり周囲の人との関係がわからなくなります。80歳の人が、30歳代以降の記憶が薄れてしまい、50歳の娘に対し、姉さん、叔母さんと呼んで家族を混乱させます。

また、とっくに亡くなった母親が心配しているからと、遠く離れた郷里の実家に歩いて帰ろうとすることもあります。

※見当識(けんとうしき)とは、現在の年月や時刻、自分がどこにいるかなど基本的な状況を把握することをいいます。

 

症状3 理解・判断力の障害

 

認知症になると、ものを考えることにも障害が起こります。具体的な現象では次の変化が起こります。

(1)考えるスピードが遅くなる

逆の見方をするなら、時間をかければ自分なりの結論に至ることができます。急がせないことが大切です。

(2)二つ以上のことが重なるとうまく処理できなくなる

一度に処理できる情報の量が減ります。念を押そうと思って長々と説明すると、ますます混乱します。必要な話はシンプルに表現することが重要です。

(3)些細な変化、いつもと違うできごとで混乱を来しやすくなる

お葬式での不自然な行動や、夫の入院で混乱してしまったことをきっかけに認知症が発覚する場合があります。

予想外のことが起こったとき、補い守ってくれる人がいれば日常生活は継続できます。

(4)観念的な事柄と、現実的、具体的なことがらが結びつかなくなる

「糖尿病だから食べ過ぎはいけない」ということはわかっているのに、目の前のおまんじゅうを食べてよいのかどうか判断できない。「倹約は大切」と言いながらセールスマンの口車にのって高価な羽布団を何組も買ってしまうということが起こります。

また、目に見えないメカニズムが理解できなくなるので、自動販売機や交通機関の自動改札、銀行のATMなどの前ではまごまごしてしまいます。全自動の洗濯機、火が目に見えないIHクッカーなどもうまく使えなくなります。

 

症状4 実行機能障害

 

計画を立て按配することができなくなる

スーパーマーケットで大根を見て、健康な人は冷蔵庫にあった油揚げと一緒にみそ汁を作ろうと考えます。認知症になると冷蔵庫の油揚げのことはすっかり忘れて、大根といっしょに油揚げを買ってしまいます。

ところが、あとになっていざ夕食の準備にとりかかると、さっき買ってきた大根も油揚げも頭から消えています。冷蔵庫を開けて目に入った別の野菜でみそ汁を作り、冷蔵庫に油揚げが二つと大根が残ります。こういうことが幾度となく起こり冷蔵庫には同じ食材が並びます。認知症の人にとっては、ご飯を炊き、同時進行でおかずを作るのは至難の業です。

健康な人は頭の中で計画を立て、予想外の変化にも適切に按配してスムーズに進めることができます。認知症になると計画を立てたり按配をしたりできなくなり、日常生活がうまく進まなくなります。

保たれている能力を活用する支援

でも、認知症の人は「なにもできない」わけではありません。献立を考えたり、料理を平行して進めることはうまくできませんが、だれかが、全体に目を配りつつ、按配をすれば一つひとつの調理の作業は上手にできます。「今日のみそ汁は、大根と油揚げだよね」の一言で油揚げが冷蔵庫にたまることはありません。「炊飯器のスイッチはそろそろ入れた方が良いかな?」ときいてくれる人がいれば、今までどおり、食事の準備ができます。こういう援助は根気がいるし疲れますが、認知症の人にとっては必要な支援です。

こうした手助けをしてくれる人がいれば、その先は自分でできるということがたくさんあります。

 

症状5 感情表現の変化

 

認知症になるとその場の状況が読めない

通常、自分の感情を表現した場合の周囲のリアクションは想像がつきます。私たちが育ってきた文化や環境、周囲の個性を学習して記憶しているからです。さらに、相手が知っている人なら、かなり確実に予測できます。

認知症の人は、ときとして周囲の人が予測しない、思いがけない感情の反応を示します。それは認知症による記憶障害や、見当識障害、理解・判断の障害のため、周囲からの刺激や情報に対して正しい解釈ができなくなっているからです。

たとえば「そんな馬鹿な!」という言葉を、その場の状況を読めずに自分が「馬鹿」と言われたと解釈した認知症の人にストレートに怒りの感情をぶつけられたら、怒られた人は、びっくりしてしまいます。認知症の人の行動がわかっていれば、少なくとも本人にとっては不自然な感情表現ではないことが理解できます。

 

○ 認知症の人と接するときの心がまえ

 

「認知症の本人には自覚がない」は大きな間違い

認知症の症状に、最初に気づくのは本人です。もの忘れによる失敗や、今まで苦もなくやっていた家事や仕事がうまくいかなくなる等々のことが徐々に多くなり、何となくおかしいと感じ始めます。

とくに、認知症特有の言われても思い出せないもの忘れが重なると、多くの人は何かが起こっているという不安を感じ始めます。しかし、ここから先は人それぞれです。認知症を心配して抑うつ的になる人、そんなことは絶対にないと思うあまり、自分が忘れているのではなく、周囲の人が自分を陥れようとしているのだと妄想的になる人など。

認知症になったのではないか、という不安は健康な人の想像を絶するものでしょう。認知症の人は何もわからないのではなく、誰よりも一番心配なのも、苦しいのも、悲しいのも本人です。

「私は忘れていない!」に隠された悲しみ

現実には、少なからぬ認知症の人が、私はもの忘れなんかない、病院なんかに行く必要はない、と言い張り、家族を困らせています。早く診断をし、はっきりとした見通しを持って生活したい、本人を支えていきたいと願う家族にとって、本人のこうした頑なな否認は大きな困惑の元になります。しかし、その他の事柄についてはまだまだ十分な理解力や判断力を持っているのに、自分の深刻なもの忘れに対してだけ不自然なほど目をつぶる理由を考えてみましょう。

こういう人でも、他の認知症の人のもの忘れが尋常でないということはすぐにわかります。つまり、「私は忘れてなんかいない!!」という主張は、私が認知症だなんて!!というやり場のない怒りや悲しみや不安から、自分の心を守るための自衛反応なのです。周囲の人が「認知症という病気になった人」の本当のこころを理解することは容易ではありませんが、認知症の人の隠された悲しみの表現であることを知っておくことは大切です。

こころのバリアフリーを

足の不自由な人は、杖や車いすなど道具を使って自分の力で動こうとします。駅にはエレベーターの設置などバリアフリー化が進み、乗り降りがしやすくなってきています。また手助けのいるときには援助を頼みます。

しかし、認知症の人は自分の障害を補う「杖」の使い方を覚えることができません。「杖」のつもりでメモを書いてもうまく思い出せず、なんのことかわからなくなります。認知症の人への援助には障害を理解し、さりげなく援助できる「人間杖」が必要です。交通機関や店など、まちのあらゆるところに、温かく見守り適切な援助をしてくれる人がいれば外出もでき、自分でやれることもずいぶん増えるでしょう。こころのバリアフリー社会をつくることが認知症サポーター(詳細については後述)の役割です。

かかわる人の心がまえ

認知症の問題は、介護問題だと考えるのをやめましょう。だれでも自分や家族が認知症になる可能性があります。認知症という病気のことを理解したうえで、自分だったらどう生き抜くかということを考えなければ、認知症の人の支援は難しいのです。

健康な人の心情がさまざまであると同じように認知症の人の心情もさまざまです。「認知症の人」がいるのではなく、私の友達のAさんが認知症という病気になっただけです。友人としてすべきことは、認知症の障害を補いながら、今までどおり友達のAさんと付き合い続けることです。たまたま駅でまごまごしていたBさんは、認知症のために自動改札が通れないらしい、だったら、ちょっと手助けをして改札を通る手伝いをすればいい。さりげなく、自然に、それが一番の援助です。

 

○ 認知症サポーターについて

 

認知症サポーターとは、認知症に関する正しい知識と理解を持ち、地域や職域で認知症の人やそのご家族を支援する人のことを言います。

認知症サポーターになるには、各地域で実施している「認知症サポーター養成講座」を受講する必要があり、受講者にはサポーターの証としてオレンジリングが渡されます。

今後、2009年までに認知症サポーターを100万人にすることを目標としており、7月末現在で約58万人の方が認知症サポーターとして、各地域で認知症の人やそのご家族を支援しています。

 

○ キャラバンメイトについて

 

「認知症サポーター養成講座」を継続的に年間最低3回実施する者をキャラバン・メイトとし、全国キャラバン・メイト連絡協議会に研修開催者を通じて登録される。

※登録から2年間にわたり講座開催実績のないキャラバン・メイトについては、「認知症サポーター養成講座」を実施するまで登録の対象外とする。

登録者の情報は、認知症サポーター養成講座の実施を目的として、市町村等自治体に提供されるものとする。  

 

○ これからの認知症対策について

今後、我が国の高齢化が進むことに伴い、認知症の人も増加することが考えられることから、認知症の人やそのご家族に対する支援もますます重要になると考えられております。

このため、本年5月、舛添厚生労働大臣の指示の下、「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」を設置し、「たとえ認知症になっても安心して生活できる社会を早期に構築する」ことが必要との認識のもと、医療、介護等の有識者にご参加いただき、今後の認知症対策について検討を進めてまいりました。

なお、このプロジェクトの報告書は本年7月に取りまとめられました。主な内容は次のとおりです。

 

【認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクトの主な内容】

 

I これからの認知症対策

○ 今後の認知症対策は、早期の確定診断を出発点とした適切な対応の促進を基本方針とする。

○ 具体的には、(1)実態の把握、(2)研究開発の加速、(3)早期診断の推進と適切な医療の提供、(4)適切なケアの普及及び本人・家族支援、(5)若年性認知症対策を積極的に推進するため、財源の確保も含め、必要な措置を講じていく必要がある。

 

II 認知症対策の具体的内容

1  実態の把握

認知症患者数や、認知症患者の症状別、医療機関・施設別の利用の実態についての調査など

2 研究・開発の促進

アルツハイマー病に有効な予防方法や早期診断技術の実用化、根本的治療薬の実用化を目標とした研究など

3 早期診断の推進と適切な医療の提供

早期診断の促進、認知症の専門医療を提供する医師の育成など

4 適切なケアの普及及び本人・家族支援

認知症ケアの標準化・高度化に向けた取組みや、医療から介護への切れ目のないサービス提供の推進、相談支援体制の充実、認知症サポーターの増員など

5 若年性認知症対策

コールセンターの設置による相談支援体制の充実や、雇用・就労、障害者福祉などへ適切につなぐための支援など厚生労働省としては、この報告書に基づき、今後、認知症対策をさらに推進することとしています。

 

 

 認知症の原因の1つであるアルツハイマー病で、原因解明につながる新しい物質に注目が集まっている。「タウたんぱく質」という神経細胞(ニューロン)の骨格となる物質で、これが壊れてたまると神経細胞が死んでしまい、病気を発症することが分かってきた。

病気の発症や進行を防ぐ新しい治療薬につながるとして研究に力が入ってきた。

 

 

アルツハイマー病に新説

 

 201010月下旬、東京都港区のフランス大使館でアルツハイマー病の克服に向けた国際研究組織の発足式が開かれた。「タウ会議」と名付けた国際組織は、タウたんぱく質を標的にした研究を推進するのが狙い。日本を含む英・仏・米、独など世界6カ国から研究者や製薬企業の関係者30人が参加した。

 タウたんぱく質は神経細胞の骨組みを作るたんぱく質の一部。細胞膜の内側にあり、微小管というたんぱく質に絡み細胞の形を支える。通常は問題ないが、なんらかの原因で骨組みから外れ、通常とは異なる細い糸くずのような状態になってたまると神経細胞が死んでしまう。

 1980年代に現・同志社大学の井原康夫教授がアルツハイマー病患者から発見した。タウ会議に参加した理化学研究所の高島明彦チームリーダーは「治療薬の標的にすれば、発症や進行を抑える薬ができる可能性が高い」と強調する。

 アルツハイマー病はこれまで「アミロイド仮説」という考え方に基づいて治療薬開発が進んできた。これは神経細胞の外側にアミロイドベータ(β)という物質がたまって老人斑というしみのような状態になり、病気を発症するという説だ。この仮説に基づいた治療楽の開発も進むが、まだ決定的な薬はなく多くの患者が病気に悩まされている。

 タウたんぱく質はこれまでアミロイドβが脳にたまってから蓄積するため、注目度も低かった。しかし、最近の研究からアミロイドβより早く蓄積する患者も多いことが分かってきた。

 高島チームリーダーらは約2000人の患者などを調べたデータを詳しく分析した。その結果、脳の奥深くで記憶を担う嗅内野という部位の神経細胞に、早い人は20歳代後半から糸くず状のタウたんぱく質がたまり始めていたという。50歳代でも約半数が蓄積していた。もちろん記憶障害などは起きる前で、この後、大脳皮質などにアミロイドβもたまり始め、病気になる可能性が高い。ネズミによる動物実験では糸くず状になる前の塊が嗅内野にできると神経細胞は20%程度減った。

 

 

難航する薬開発打開なるか

 

 

タウたんぱく質を標的にした薬の開発も始まった。東京都精神医学総合研究所の長谷川成人チームリーダーらは糸くず状のタウたんぱく質が増えないようにする研究を進める。

 これまでの実験から、形が変わったタウたんぱく質は外部から神経細胞の中に入り、正常なタウたんぱく質の形を変化させることが分かった。これは糸くず状のタウたんぱく質が、脳に障害をもたらすBSE(牛海綿状脳症)などのプリオンたんぱく質と同じ性質を持つ可能性を示す。「こうしたタウたんぱく質が、ほかの細胞へ広がるのを防げれば病気の進行を抑えられるかもしれない」

 ただタウたんぱく質に基づく本格的な臨床試験はまだなく、本当に薬なるかどうかは未知数だ。それでも期待が高まる背景は、アミロイド仮説に基づいた治療薬の開発が思うように進んでいないからだ。

 アミロイドβを手がかりにした薬の開発は大手製薬企業が2000年ごろから乗り出した。医薬品開発で実用化の一歩手前である第3相試験まで進んでいたが、最近患者の認知機能が回復しないとの結果が相次いだ。まだ試験中のものもあり、アミロイド仮説による薬の開発が否定されたわけではない。東京大学の岩坪威教授は「アミロイドβを標的にした薬だけでは、症状が進んだ患者で改善効果が出にくいという懸念が強まっている」と分析する。

 アルツハイマー病の発症メカニズムは複雑で原因は完全に解明できていない。ただ新しい標的物質の発見は、患者にとって治療の選択肢が広がる可能性がある。アルツハイマー病の治療戦略は、新たなステージに突入した。